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(「極貧球団」の画像)
「極貧球団」は1973年から1978年に福岡にあったパリーグの球団、
太平洋クラブライオンズ
クラウンライターライオンズ
のことを書いた本です。
ここ2年間、まともに本を読んだことがない私が、一気に読んでしまったほどおもしろい本でした。
1.私の背景
感想を書かせてもらう前に、私の野球応援歴を書いておきます。
1975年から野球を見始めた小学五年生の私は、自然に地元福岡にあった、太平洋クラブライオンズを応援するようになりました。
それは、1978年に西武ライオンズとなり、本拠地が福岡から去ることになるまで続きました。
この間、何度もライオンズのファンをやめたくなりました。
この本にあるように、本当に弱いチームでしたから。
阪急ブレーブスが無敵を誇っていた頃で
「強すぎておもしろくない」
といわれていた頃です。
弱かったライオンズのファンとしては、強すぎてなんの不満があるんだ、ぜいたくな、と思っていました。
できることなら、ブレーブスのような強いチームのファンになりたい、そう思ったりもしました。
しかしそれはできませんでした。
地元福岡のチームですから。
いくら負けても、ライオンズを見捨てることはできませんでした。
今となっては正確なところは覚えていませんが、そんな気持ちもあって、弱かったライオンズが埼玉に去ったら、あっさりとライオンズファンをやめることができました。
西武ライオンズになってから、多くの馴染みの選手が放出されました。
そして開幕12連敗。
もうライオンズを応援する大義も気持ちも無くなったのは当然ですが、プロ野球を見るのすらやめてしまいました。
それから3年半がたった、1982年秋、めずらしく家で野球中継を見ました。
マウンドにいるのは西武ライオンズの東尾修投手。
数少ない、福岡のライオンズの生き残りです。
テレビを見ていたのは、私と家族だけではありませんでした。
当時私の家は改築中で、それに携わっていただいていた大工の方々も一緒でした。
東尾投手が最後の打者を打ち取り、西武ライオンズが初めて日本一になったのを見て、不思議な気持ちになりました。
弱かったライオンズが日本一になった。
そこにいた人達すべてが喜んでいたかどうかは覚えていません。
中には
俺たちがちゃんと応援しとったら、福岡のライオンズとして優勝させられたかもしれん
と思っていた人もいたかもしれません。
高校三年生になっていた私でしたが、まだその頃は、なんでライオンズが福岡を去らざるを得なかったのか、知りませんでした。
私が末期の福岡のライオンズの悲惨さを知ったのは、その翌々年、浪人生を経て大学生になって、野球に関する本を再び読み始めてからでした。
たしか
越智正典著の
「巨人を超えた男・広岡達朗」
にクラウンライターライオンズの貧窮ぶりが書いてありました。
ボールを洗濯機で洗って、練習で何回も使ったこと。
その時、消しゴムを入れると、汚れがよく落ちたこと。
小倉球場でゲームをやった日は、駅のホームで各選手に電車代を直接配っていたこと。
そんな状態の球団を応援していたのか…
そりゃあ勝てないわけだ。
もっともっと当時のことを知りたくなりましたが、なかなかそう言うことを書いた本は見つかりませんでした。
2.感想
この本を手にとったとき、さて、どれだけ詳しく当時のことが書いてあるだろう、と期待に胸をふくらませました。
本になるくらいですから、ある程度の深さはあるだろう、少なくとも出来事と出来事の連続性を失わない程度には。
期待したのは、あの当時福岡でライオンズを応援していた私に、ああ、あのことはそう言う裏事情のあらわれだったのか、と言うことが書かれていればいいな、と言うことでした。
結果は、期待のはるか上を行っていました。
こんなことまで調べて書かれたのか、と驚きの連続でした。
当時の新聞や記録、それらと、当時を知る人々の、正確さが怪しくなってきた記憶からくるエピソードを、不自然になることなく見事にまとめあげてあるな、と言う事が何よりも驚きでした。
特に1978年の福岡大渇水。
前年のドラフトで1位指名したものの、入団を拒否していた江川卓投手と、枯渇した江川ダムとをならべて
「『江川』と名がつくものはなんでもダメ」
と福岡で言われていましたが、これに近いことまで書いてあるのには驚きました。
よくまあこんなエピソードまで、無理なく埋めこんでくれたものだと驚きました。
この本には、こう言うエピソードがいくつか載っています。
球団の表の歴史と、裏のエピソードが無理なく織り込まれていました。
3.書かれなかった球団歌
この本には、私の知らないことがたくさん書いてありました。
特に中卒の選手がいたことはまったく知らなかったので驚きました。
一方で、たしか触れられてなかったのが球団歌でした。
あらためてウィキペディアで調べてみますと、太平洋クラブと、クラウンライターの時代には、3つの球団歌があったことになってます。
「君こそライオンズ」
「惚れたぜライオンズ」
「ぼくらの憧れライオンズ」
全曲、サビぐらいは知っていますが、この中でも「君こそライオンズ」については書いてほしかったな、と思います。
ただ、知っていることはすべて書けばいい、と言うものではないとも思います。
この点に関しては、調べはされたものの、それほど重要ではない、と判断され、書かれなかったのかもしれません。
ですが、あの頃の少年にとっては、とても感情が高ぶるもののように思えるのですが。
実際、東京で出会った同じ世代の福岡出身の方とは、この歌で盛り上がったりしましたし。
4.この本で泣けるか
この本を読んで、2カ所で号泣しました。
しかしそれは、私がこのころのライオンズを応援していたからだと思います。
そうではない大多数の人が読んで、泣けるかな?
その疑問は著者が書いた他の本の一つで、高橋ユニオンズのことを書いた
「最弱球団」
を読んでわかりました。
私は高橋ユニオンズに興味こそありましたが、思い入れはありませんでした。
それでも泣けました。
だから、普通の人が「極貧球団」を読んでも、十分に泣けると思います。
5.もっとも大事なこと
会社に行く途中、たまたま入った駅のトイレで、捨ててある新聞の広告欄に、この本のことを見つけました。
さすがにトイレに捨ててある新聞には手が出せませんでしたが、本のタイトルを覚えて、出社の電車の中でスマホでこの本のことを調べました。
この本を読んでもっとも驚いたのは、太平洋クラブライオンズも、クラウンライターライオンズも、福岡の人間からよそ者あつかいされていた、と言うことでした。
もっと本腰を入れて、福岡の財界や政界が援助していれば、中くらいの強さだったかもしれませんが、まだライオンズは福岡にあったかもしれません。
でも、誰もライオンズが福岡を去るなんて考えもしなかったんでしょう。
そのことが決まってから、みんな、ことの重大さに気がついたようです。
いま、福岡に住むライオンズファンを続けている身内の一人は
「福岡市はホークスを甘やかし過ぎたい」
と言います。
私より年長の方ですから、知ってはいるんでしょうが、「甘やかし過ぎ」とまで思われるほどホークスを大事にしないといけない理由があるのです。
私は、25年ほど前にホークスが福岡に移転するのが決まった時、いずれまた福岡を去るんじゃないか、と言う懸念を持ちました。
いま、ホークスは福岡の球団として根を下ろし、多くの市民に愛されています。
太平洋クラブライオンズとクラウンライターライオンズは、球界に多くの逸材を残しました。
フロント陣としての坂井保之氏、根本陸夫氏、選手は東尾修投手など多数。
そして福岡の野球ファンには、地元の球団を絶対に手放してはいけない、と言う意識を残してくれたと考えます。
本の情報
「極貧球団」
長谷川 晶一 著
日刊スポーツ出版社
2015年6月20日発売
ISBN-10: 4817203323
ISBN-13: 978-4817203328
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「太平洋クラブライオンズ」
でした。
その1年後のオフ、球団名は
「クラウンライターライオンズ」
に変わりましたが、そのまま応援し続けました。
しかし、1978年秋、
「西武ライオンズ」
になった時、野球を見るのをやめてしまいました。
ライオンズの本拠地が福岡ではなくなったからです。
その頃ぐらいから、太平洋クラブライオンズの前身、西鉄ライオンズ関係の本を集めるようになりました。
遠い昔、日本の端っこの福岡に、最強のチームがあった。
そのことが痛快に思えたからです。
でもそれも、福岡ダイエーホークスの誕生と同じ時期ぐらいでやめました。
ホークスの誕生とともにファンになった私ですが、それと「西鉄本」を集めるのをやめたのは関係がないです。
ただ、飽きたのです。
ほとんどのものが、強かったころの西鉄の素晴らしさを前面に出し、斜陽のころのものにはあまり触れていませんでした。
西鉄が強かったのはよくわかった。
じゃあなんで身売りして、そして最終的に福岡を去らざるを得なくなった事情はなんなのか、そう言う方に興味を持ち始めました。
そして先日、6月20日に、
「極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ」
と言う本が発売されていることを知りました。
『極貧球団』、ついに完成! 担当編集者がわざわざ届けてくれた。ホントに嬉しいです! 6月20日頃の発売です。どうぞよろしくお願いいたします! pic.twitter.com/V7QDpZFUts
— SHOICHI HASEGAWA (@shozf5) 2015, 6月 12
これたい!!
こげな本ば読みたかったったい
太平洋クラブライオンズとクラウンライターライオンズのことしか書いてない本ば
出勤の途中、他人が読んでいたスポーツ新聞の広告欄でそれを知って、ものすごくテンションが上がりました。
調べてみたら、こんな本も6月の頭に出てました。

「俺たちの太平洋・クラウン 福岡ライオンズ、最後の6年間」
というものです。
土井正博氏、東尾修氏、永射保氏はそのままライオンズで選手生命を終えましたから、西武ライオンズのファンにもなじみはあるでしょうが、真弓明信氏や若菜嘉晴氏は、え、タイガースの生え抜きじゃないの、と思っている人もいるかもしれません。
そして、吉岡悟氏って誰?ともう人もいるでしょう。
一応首位打者とったんですけどね。
これも読みたいわぁ~
読んだら感想書きます。
書籍のサイトへのリンクを貼っておきます。
書店に問い合わせる時の参考になると思います。
日刊スポーツ出版社「極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ 弱く、貧しく、たくましく! 太平洋クラブライオンズ クラウンライターライオンズ 奮闘の6年を関係者の証言とともに振り返る」へのリンク
ベースボールマガジン社「俺たちの太平洋・クラウン 福岡ライオンズ、最後の6年間」へのリンク
それにしても、今、太平洋クラブやクラウンライターの、弱かったころのライオンズのことが流行ってるんでしょうか?
あのときは応援しても負けてばかりで悔しかったですが、本当に懐かしいので、流行ってれば嬉しい限りです。
埼玉西武ライオンズさん、来年はこのころのユニフォームで、福岡で主催試合をやってくれませんか?
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(前半の歌が「君こそライオンズ」です)
http://www.youtube.com/watch?v=gDXdwth4jhI
この歌、現在40代以降で、32年前に普通にライオンズを応援していた人には、おそらく懐かしい歌だと思います。
20数年前、東京で知り合った大学の後輩とは、この歌の話しと、福田先生(楽屋ネタです)の話題で盛り上がりました。
それほど、重い歌です。
太平洋クラブライオンズとクラウンライターライオンズ時代の歌です。
今シーズン、埼玉西武ライオンズは、ユニフォームに、強かった頃の西鉄ライオンズを思い出させるようなイメージを取り込んで、新調しました。
九州で奮闘し、日本シリーズ3連覇も成し遂げた西鉄と、基本的に常勝の西武をミックスさせたような感じで、中村選手なんかが着ると、西鉄の選手?と思いちがえることもあります。
ここから先は、埼玉時代しか知らないライオンズファンより、むしろ物心ついたときから福岡にホークスがあって、応援をしているホークスファンに読んでいただきたいのです。
西鉄と、西武の間に、太平洋クラブライオンズとクラウンライターライオンズの時代がありました。
本拠地は福岡の平和台球場。
それはそれは弱いチームでした。
太平洋クラブやクラウンライターと言う会社が球団のオーナーではなく、その2社はネーミングライツを買った、スポンサーにしかすぎませんでした。
貧乏球団でした。
だから補強もままならず、負け続けました。
当然客足は遠のきました。
そして1978年、ライオンズは国土開発に買収され(と言うか、買ってもらい)、埼玉に移転しました。
ここに来て、福岡の人たちは事の重大さを知りました。
福岡から野球のチームが、ライオンズがなくなってしまったからです。
だから、今福岡のホークスを応援しているファンの方々には、ホークスが移転しないよう、勝っても負けても応援してほしいのです。
福岡の市場としての魅力を考えると、移転は考えにくいですが、閑古鳥が鳴くようだと、その可能性も出てきます。
どうか、よろしくお願いします。
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ここからは、おじさんのノスタルジーのコーナーです。
動画に登場する選手を見ていると、今更ながら、実は未完のすごい選手がたくさんいたんだなぁ、と感じます。
この選手がそのまま残って伸びて行って、投手力が整備されていれば、それほど弱いチームにはならなかったろう、と思います。
しかし、西武は西武で、新しいイメージの、そして即戦力の選手が必要だったので、星野監督が中日や阪神で行った以上のトレードを行いました。
東尾、太田、永射は残されました。
竹之内、真弓、若菜は阪神へ行きました。
基は大洋に行きました。
吉岡はロッテに行きました。
西武には西武の考えがありましたから、今ではそれを恨む気はありません。
ただ、懐かしい限りです。
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(クラウンライターライオンズ時代の真弓選手です)
城島選手が、昨日、記者会見で、阪神入りを表明しました。
先週の火曜からの8日間、私もそうですがホークスファンをやきもきさせた騒動に、やっと決着がつきました。
不本意な形ですが、人それぞれ事情があると思いますので、私はあまり落ち込んでいません。
ただ、twitterにも書きましたが、この騒動で、城島やホークス首脳や阪神を嫌いにはなりたくないです。
ところで、写真はクラウンライターライオンズ時代の真弓選手、現阪神監督その人です。
今後城島選手がお世話になるボスです。
クラウン、って何?
真弓って阪神以外にもいたの?
と疑問に思った方はWikipediaでお調べください。
話しを元に戻しますが、Yahooのコメントなんかを見ていると、阪神ファンだけど城島はいらない、と言う声は少なくないです。
金でタレントを寄せ集め、失敗している姿が、ちょっと前の巨人とだぶって、なんかヤダ、と言う理由が多いですね。
でも、勝つことが最大のファンサービスと考え、そのための戦力を補強する姿は、間違ってはないとも思うんですが。
城島ならきっと阪神ファンを幸せにしてくれると思います。
よろしくお願いします。
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