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【終戦記念日】ナチス物の映画が多いように感じるが~一つだけ異色なもの

今日は「8月15日」、終戦記念日です。

歴史の解釈にはいろいろとあるのですが、私の認識では、太平洋戦争、そして第二次世界大戦が終わった日です。

第二次世界大戦のうち、ヨーロッパの戦闘が終わったと言えるドイツの降伏は1945年5月で、今日8月15日よりも前のことですが、最近はナチスドイツ関連の映画が多いように感じますので、いくつか紹介します。

1.「少女ファニーと運命の旅」

原題「Le Voyage de Fanny」



(映画『少女ファニーと運命の旅』予告編動画)

「映画『少女ファニーと運命の旅』公式サイト」へのリンク

8月11日日本公開。

「ナチスドイツ支配下のフランスからスイスへ、子どもたちだけで旅を続けたユダヤ人の少女の実話を映画化したヒューマンドラマ。1943年、ナチスドイツの脅威がヨーロッパへ広がり、フランスも支配下に置かれた。13歳のユダヤ人の少女ファニーは、幼い2人の妹とともに児童施設に匿われていたが、密告者によって存在が暴かれてしまい、別の施設に移動することに。しかし、ドイツ兵の厳しい取り締まりのため、移動中に引率者とはぐれてしまう。見知らぬ駅に取り残された9人の子どもたちは、ファニーをリーダー役に、一路スイスを目指して子どもたちだけで移動を開始するが……。実在の女性ファニー・ベン=アミの自伝を原作に、フランスの名匠ジャック・ドワイヨンを父に持つローラ・ドワイヨン監督が手がけた。」
映画.comより)


2.「ヒトラーへの285枚の葉書」

原題「Alone in Berlin」



(映画『ヒトラーへの285枚の葉書』予告編動画)

映画「ヒトラーへの285枚の葉書」公式サイトへのリンク

7月8日日本公開。

「ドイツ人作家ハンス・ファラダがゲシュタポの文書記録をもとに執筆した小説「ベルリンに一人死す」を映画化し、ペンと葉書を武器にナチス政権に抵抗したドイツ人夫婦の運命を描いたドラマ。1940年6月、ベルリンで暮らす労働者階級の夫婦オットーとアンナのもとに、最愛の息子ハンスが戦死したとの報せが届く。夫婦で悲しみに暮れていたある日、オットーはヒトラーに対する批判を綴ったポストカードを、密かに街中に置く。ささやかな活動を続けることで魂が解放されていく2人だったが、やがてゲシュタポの捜査の手が迫る。主演は「いつか晴れた日に」のエマ・トンプソンと「未来を花束にして」のブレンダン・グリーソン。共演に「グッバイ、レーニン!」のダニエル・ブリュール。「王妃マルゴ」「インドシナ」などの人気俳優バンサン・ペレーズが監督を務めた。」
映画.comより)


3.「ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命」

原題「The Zookeeper's Wife」



(映画『ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命』予告編動画)

「ユダヤ人を救った動物園~アントニーナが愛した命」公式サイトへのリンク

12月日本公開予定。

「第2次世界大戦中のポーランド・ワルシャワで、動物園の園長夫妻が300人ものユダヤ人の命を救った実話を、ジェシカ・チャステイン主演で映画化。1939年の秋、ドイツのポーランド侵攻により第2次世界大戦が勃発した。ワルシャワでヨーロッパ最大規模を誇る動物園を営んでいたヤンとアントニーナ夫妻は、ユダヤ人強制居住区域に忍び込み彼らを次々と救出。ユダヤ人たちを動物園の檻に忍びこませるという驚くべき策を実行する。夫婦によるこの活動がドイツ兵に見つかった場合、自分たちやわが子の命も狙われるという危険な状況にありながら、夫婦はひるむことなく困難に立ち向かっていく。アントニーナ役を「ゼロ・ダーク・サーティ」「オデッセイ」のチャステインが、ヤン役をヨハン・ヘルデンベルグがそれぞれ演じ、マイケル・マケルハットン、ダニエル・ブリュールらが出演。監督は「クジラの島の少女」のニキ・カーロ。」
映画.comより)


ここまでは、よく取り上げられる、ナチスドイツに憎しみをあてる映画です。

最後に紹介させてもらうのは、連合国側の仕打ちへスポットをあてたもの、と言える映画です。

昨年公開されたものですが、最近まで知らないものでしたし、ある意味、一番紹介したい映画でしたので取り上げさせてもらいました。

結局、戦争に善悪はなく、起きればどちらもが悲惨な思いをするものだと思います。

私としては、戦争の準備を怠らず、戦争を避ける行動が行われることを望みます。


4.「ヒトラーの忘れもの」

原題「Under sandet」



(映画『ヒトラーの忘れもの』予告編動画)

「映画『ヒトラーの忘れもの』公式サイト」へのリンク

2016年12月日本公開。

「終戦直後のデンマークを舞台に、地雷撤去を強制される敗残ドイツ軍の少年兵たちの過酷な運命を、史実に基づいて描いた。第2次世界大戦後、デンマークの海岸沿いに残された無数の地雷を撤去するため、元ナチス・ドイツの少年兵たちが連れて来られる。彼らを指揮するデンマーク人軍曹はナチスに激しい憎しみを抱きながらも、無垢な少年たちが次々と命を落とすのを見て良心の呵責にさいなまれるようになっていく。2015年・第28回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、軍曹役のローラン・モラーと少年兵役のルイス・ホフマンが最優秀男優賞を受賞した(映画祭上映時タイトル「地雷と少年兵」)。」
映画.comより)


主観ですが、今年は太平洋戦争より、ドイツを扱った作品が多いように感じます。

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「ホノルル空港」が「ダニエル・K・イノウエ空港」に改名されたのが喜べない理由~今日再放送の「失われた大隊を救出せよ~米国日系人部隊 英雄たちの真実~」を見てほしい

先月末、ハワイの「ホノルル国際空港」

「ダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K.Inouye International Airport)」

に改名されたそうです。

これはハワイ出身で長年にわたって上院議員を務めた、日系アメリカ人故ダニエル・イノウエ氏にちなんだものだそうです。

イノウエ氏は、ホノルル空港の発展に大きく寄与されたそうです。



空港の公式サイトも以下のように改名されています。

「Daniel K. Inouye International Airport」へのリンク

ただし、空港のアルファベット3文字表記(IATAコード)である「HNL」は変更ないそうです。


このニュースを目にして思ったのは

「はたしてイノウエさんは、自分の名前が空港につくことを喜んでいるんだろうか?」

と言うことでした。


Wikipediaの「ダニエル・イノウエ」のサイトには、イノウエ氏の数々の功績が記載されています。

具体的なことを書くと長くなります…

大統領継承順位第3位の上院仮議長を務め、アメリカだけではなく日本の最高の勲章の勲一等旭日大綬章、フランスの再興の勲章のレジオンドヌール勲章を受勲しています。

それほどの功績があった人です。


しかし本当は政治家ではなく、医学の道に進みたかったそうです。

しかし17歳の時太平洋戦争が起き、アメリカ人としての忠誠心を示すためにアメリカ軍に志願し、日系人部隊「442部隊(正式には「第442連隊戦闘団」)に配属されたそうです。

ドイツとの闘いで右腕を負傷し切断…

「多くの部隊員とともに数々の勲章を授与され帰国し、日系アメリカ人社会だけでなくアメリカ陸軍から英雄としてたたえられる」(Wikipediaより)ことになったそうですが、医学の道はあきらめざるを得なくなったそうです。


「442部隊」は、ほぼ日系アメリカ人で編成された部隊です。

ヨーロッパ戦線に投入され

「アメリカ合衆国史上もっとも多くの勲章を受けた部隊」

となりましたが

「のべ死傷率314%」

と言う過酷な状況でした。


太平洋戦争で多くの日系人は、「敵性国民」として収容所に入れられました。

日系人で戦争に行ける者は、アメリカ合衆国への忠誠心を示すため、また政府の思惑もあって、アメリカ軍に志願しました。

そして編成されたのが「442部隊」です。

部隊の日系人はアメリカへの忠誠をさらに示すために、多大な犠牲を出しながらも、多くの戦果をあげました。

家族や日系人コミュニティを守るためには、勇敢にならざるを得なかったのだと思います。

その戦火の中で最も大きく、最も悲惨だったのが、「失われた大隊」と呼ばれたテキサス大隊の救出作戦だったようです。


そのことを詳しく伝えた番組

BS1スペシャル「失われた大隊を救出せよ~米国日系人部隊 英雄たちの真実~」

が、今日5月5日(金)の正午からBS1で再放送されます。

私は最初の放送を見ました。

予想通りの悲しい話しでした。

しかし歴史の大きな出来事として、多くの日本人に見てほしい番組です。

ちょっとだけ内容を書いておきますと…

ある元兵士が涙を流しながら、こう心の中からしぼり出すように言った言葉がありました。

「誰にも「英雄」だなんて呼ばれたくない…

そんな呼び名は嫌いだ…」

多くの同胞から「英雄」と呼ばれるのは、まことに名誉なことだと思います。

一般的には…

しかし442部隊の兵士たちは、本当は地味ながらも、ささやかな幸せを感じながら生きていたかったはずだと思います。

それほど「442部隊」は理不尽な運命をたどらされた部隊だと、あらためて思わせてくれる番組でした。

私は、

「442部隊」のことを忘れてはならない、

と思います。

それは「武勇伝」ではなく「悲劇」として。


「イノウエさんは、自分の名前が空港につくことを喜んでいるんだろうか?」

そう思ったのは、そう言う背景があるからなのです。

ハワイを訪れる日本人の方々には、なぜこの空港が「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と呼ばれるのか?

そしてイノウエ氏がいた「442部隊」のことを知ってほしいです。


なお、BS1スペシャル「失われた大隊を救出せよ~米国日系人部隊 英雄たちの真実~」は、祖父に元442部隊兵士を持つ、俳優の呂敏(ろびん)さんがナビゲーターとして出演しています。

こちらの二つツイートのリンク先に、そのロケの事が書いてあります。

番組を見た後でも構わないので、一読をお勧めします。





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【NFL】スーパーボウル史上の名場面、トップ5動画をNFLがリリース~「National Football League lore」

NFLが1月28日に、

「Top 5 Super Bowl Moments of All Time」

と言う動画をリリースしました。

「スーパーボウル史上の名場面、トップ5」


と言う意味になると思います。

動画は下記リンク先にあります。

「Top 5 Super Bowl Moments of All Time | The Refresh | NFL NOW」へのリンク


この名場面について、英語版Wikipediaの「National Football League lore(NFLで語り継がれるもの)」の用語を使って書いてきます。

5位 第23回スーパーボウルでの、ジョー・モンタナの「The Drive」

残り3分強で、サンフランシスコ・49ナーズがシンシナティ・ベンガルズを逆転したドライブ。

実は「National Football League lore」にはこの項目はなく、「The Drive」はジョン・エルウェイがAFCカンファレンスチャンピオンシップで見せたものになっています。

個人的には、エルウェイのは「The Drive 1」で翌シーズンでも同じようなドライブをしたので、それは「The Drive 2」。

そしてモンタナのものが「The Drive」だと考えています。


4位 第43回スーパーボウルでの、ホームズのキャッチ

これも調べてみたら「National Football League lore」には記載がありませんでした。

試合時間残り2分37秒で23-20とアリゾナ・カージナルスにリードを許したピッツバーグ・スティーラーズ。

QBベン・ロスリスバーガーに率いられたドライブは、最後はWRサントニオ・ホームズが逆転のTDレシーブを、エンドゾーン内ギリギリで捕って締めくくられました。


3位 第34回スーパーボウルでの、マイク・ジョーンズのタックル

「National Football League lore」には「One Yard Short」として記載されています。

これが決まればほぼ同点、と言うテネシー・タイタンズQBスティーブ・マクネアのパスをWRケビン・ダイソンがゴール前でキャッチ。

そのままエンドゾーンに走りこもうとしましたが、セントルイス・ラムズのLBマイク・ジョーンズのタックルに阻止されました。

そしてそのまま試合は終わりました。

「One Yard Short」とは「(同点まで)あと1ヤード足りない」と言う意味です。


2位 第42回スーパーボウルでのタイリーのキャッチ

「National Football League lore」には「The Helmet Catch」として記載されています。

試合残り2分42秒から4点差を追うニューヨーク・ジャイアンツのドライブで起きたものです。

自陣44ヤードまで進んだドライブでしたが、次のプレイでQBイーライ・マニングがニューイングランド・ペイトリオッツのディフェンス陣につかまりそうになります。

ああ、これで終わりだな、と思われましたが、マニングはなんとかディフェンスを振り切り、そこからTEデビッド・タイリーへ32ヤードのパスを決ました。

タイリーはこのボールをヘルメットで押さえてキャッチ。

これが「The Helmet Catch」の名前の由来です。

なんとか生き残ったマニングは、最後にWRプラキシコ・バレスへTDパスを決め、ペイトリオッツのパーフェクトシーズンを阻止しました。

個人的には、ヘルメットで捕ったことより、マニングがよく逃げたものだと驚いたプレイでした。


1位 第49回スーパーボウルでのバトラーのインターセプト

「National Football League lore」には「The Interception」として記載されています。

試合時間残り26秒でシアトル・シーホークスの2ndアンドゴール。

ボールはゴールライン前1ヤード。

シーホークスがニューイングランド・ペイトリオッツを逆転することはほぼ確実に思えました。

このプレイでQBラッセル・ウィルソンはWRリカルド・ロケットへパスを投げますが、これをCBマルコム・バトラーが値千銀のインターセプト。

攻守交代となり、そのままペイトリオッツが逃げ切りました。

なぜあそこでパスを投げたのか、ランではなかったのか?

いや、パスでよかったんだ、ただ投げたところが悪かった。

とか、NFLファンにプレイコールの是非を巻き起こした、印象的なプレイでした。


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【終戦の日】ブラジルでの「勝ち組騒動」のこと

今日8月15日は終戦の日です。

毎年この時期になると、大量の太平洋戦争関連の番組がテレビで放送されるんですが、今年は極端にその数がすくないように感じます。

あくまでも私の感覚で、本当は多くの太平洋戦争関連の番組が放映されているのかもしれませんが…

しかし、リオデジャネイロ・オリンピックの放送に多くの時間が割かれているのは間違いないでしょう。


リオ五輪…ブラジル…太平洋戦争

毎年私は8月15日には太平洋戦争のことを書いていますが、今年は

「勝ち組騒動」

のことを書いておこうと思います。


「勝ち組騒動」の「勝ち組」とは

「1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾して太平洋戦争が終結した後も、ブラジルを主とした南米諸国や米国ハワイ州などの日系人社会および外国で抑留されていた日本人の中で、敗戦という現実を受け入れられずに、「日本が連合国に勝った」と信じていた人々」

のことです。

(ウィキペディア「勝ち組」より。一部助詞を修正)

「勝ち組」とは反対に、敗戦を受け入れた人々は「負け組」と呼ばれました。


ブラジルの日系人社会の「勝ち組」にとっては、敗戦を受け入れることは大日本帝国と天皇陛下に対して不敬なことだと思えたのでしょう。

また、「負け組」が日本の敗戦と言う事実を「勝ち組」に納得させようとしたこともあって、「勝ち組」の一部による「負け組」襲撃事件が起きたそうです。

「勝ち組」の一部がブラジル政府に検挙され、ブラジル国民の対日本人感情が悪化したりもしたそうです。

「勝ち組」と「負け組」の対立は1950年代まで続いたそうです。


リオデジャネイロ・オリンピックの開会式では、日系移民をテーマにした演出がありました。

日本国旗をモチーフにした衣装を見たとき、まず私が思い出したのは、この「勝ち組騒動」も含んだ、日系人のこれまでの苦労でした。

現地の日本語新聞の新聞の記事へのリンクを貼っておきます。

「リオ五輪開会式=「ガンバッテ、ニホン」=移民を表現、選手に歓声も|ニッケイ新聞」へのリンク


「勝ち組騒動」は現代では考えられない事件…だとは思いません。

SNSの発達で、誤報はまたたく間にひろまるでしょう。

沈静化するまでは早いかもしれませんが、それまでに何かが起きる可能性もあります。

また、拡散された誤報は、ネット上に生き続け、誰かによりまた発掘されて騒動になる可能性もあるでしょう。

「勝ち組騒動」は、そう言うことが起きないためにも覚えておきたい事件だと考えます。


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【NFL】歴代強力ディフェンスTOP5の顔ぶれと、ちょっと気になること

こんな記事を目にしました。

NFL.com「1985 Bears, 2015 Broncos among five best defenses of all time」へのリンク

文章は読んでいませんが、ランキングは以下の通りです。

(英語が苦手なのでよくわかりませんが、ひょっとしたらランキングではなく、5つ選んだだけかもしれません)

1位 1985年のシカゴ・ベアーズ

2位 2000年のボルチモア・レイブンズ

3位 2015年のデンバー・ブロンコス

4位 2013年のシアトル・シーホークス

5位 1986年のニューヨーク・ジャイアンツ


私がこの中で、リアルタイムで知っているのは、2位から4位までの3チーム。

1位と5位にしても、その強さは、読んだり、動画で見たりしていて、選ばれても不思議はない、と思います。

なおこの著者は、1974年のピッツバーグ・スティーラーズと、2002年のタンパベイ・バッカニアーズも検討したようです。

前者は「歴史」でしか知りませんが、後者のスーパーボウルでのパフォーマンスは素晴らしいものでした。

入っていてもおかしくないと思います。


さてこのランキングを見て思うところがひとつあります。

これら5つのユニットには、ほとんどニックネームがついてないんじゃないかな、と言うことです。

つているのは5位のジャイアンツに「LTアンドカンパニー(LT & Company)」や「ビッグブルー・レッキングクルー(Big Blue Wrecking Crew)」ぐらいじゃないかと思います。

1位のベアーズには「46ディフェンス」と言う言葉がよくつかわれていますが、ニックネームとはちょっと違う気がします。

昔の強いディフェンスには、ニックネームを持つものがいくつもありました。

年号は定かではないですが、以下のものです。

・「ノーネーム・ディフェンス(No-Name Defense)」1972年のマイアミ・ドルフィンズ

・「キラーBディフェンス("Killer B's" defense)」1980年代初頭のマイアミ・ドルフィンズ

・「スティール・カーテン(Steel Curtain)」1970年代のピッツバーグ・スティーラーズ

・「ドーム・パトロール(Dome Patrol)」1990年代初頭のニューオリンズ・セインツ

・「ドゥームスディ・ディフェンス(Doomsday Defense)」1960年代終わりから1970年代のダラス・カウボーイズ

・「フィアサム・フォアサム(Fearsome Foursome)」1960年代と1970年代のロサンジェルス・ラムズ

・「ニューヨーク・サック・エクスチェンジ(New York Sack Exchange)」1980年代初頭のニューヨーク・ジェッツ

・「オレンジ・クラッシュ(Orange Crush)」1970年代終わりから1980年代初頭のデンバー・ブロンコス

・「パープル・ピープル・イーター(Purple People Eaters)」1970年代のミネソタ・バイキングス


などなど

それに比べて、最近は、オフェンスも加えて、ユニットにニックネームがつけられることが少なくなったように感じます。



(「New York Sack Exchange」の動画)


なお、この記事は2月21日ごろに書いたのですが、その後邦訳記事が出ました。




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【映画】『トランボ/Trumbo』に描かれた不屈の生き様に、何か助言を得られると考える~「栄光なき天才たち」編のネタバレあり



(映画『Trumbo』のトレイラー

 動画「Trumbo Official Trailer #1 (2015) - Bryan Cranston, Diane Lane, Helen Mirren Biopic HD」

 想定したものとはちが、スピーディーなノリで驚きました)


1.『トランボ / Trumbo』と言う映画について

第59回ロンドン映画祭に

『トランボ(原題) / Trumbo』

と言う映画が出展されたようです。

これは、映画人

ダルトン・トランボ

の半生を描いたものだそうです。

関連情報が載っているサイトはこちら

「赤狩りの犠牲になるも脚本を書き続けた不屈の映画人ダルトン・トランボの伝記映画のイメージが公開! | BEAGLE the movie」へのリンク

「ブライアン・クランストンの新作「Trumbo」のポスター&予告編公開! | Breaking Bad Fan JP」へのリンク


20151017映画トランボのポスター


2.ダルトン・トランボの人生

私は映画監督とかは興味も知識も持っていないのですが、ダルトン・トランボ(Dalton Trumbo)のことは、ノンフィクションコミック

「栄光なき天才たち」

で読んで知っていました。

少なからず感動するところがありましたので、この映画にはものすごく興味があります。

彼の半生はこうです。

ハリウッドで映画人としての地位を築いたダルトン・トランボは、戦後アメリカを席巻した「赤狩り(マッカーシズム)」によって有罪となり、映画界から干されてしまいます。

「赤狩り」とは、1940年代に次々と誕生した共産主義国家に脅威に対し、ジョセフ・マッカーシー上院議員が進めたものが一般的で、

「政府が国内の共産党員およびそのシンパ(sympathizer:同調者、支持者)を、公職を代表とする職などから追放すること。」(Wikipedia「赤狩り」より)

と言うものです。


赤狩りの対象となった10人の映画人「ハリウッド・テン」の一人だったトランボは

「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか?」

と問われたのに対し、アメリカ合衆国憲法を盾に証言を拒みました。

そのため、議会侮辱罪で逮捕され、禁固刑の実刑判決を受ました。


これはものすごく非合理な判決だと思います。

実際トランボはアメリカ共産党のメンバーだったそうですが、それを告白したとしても有罪にはならないはずです。

ただしアメリカの共産主義嫌いは、今でも相当のもののようです。


あくまでも主観ですが、アメリカ合衆国という国は、良くも悪くもときおりこのような熱狂的な全体主義に陥ることがあるように感じます。

そう言うところはちょっと怖いです。


トランボは出所後、実質的に映画界から追放されました。

メキシコに移住しましたが、そこで偽名を使って脚本家としての仕事を続けます。

1956年に『黒い牡牛』でアカデミー原案賞を受賞しましたが、ロバート・リッチと言う偽名で出典したもので、トランボの名前は出てきませんでしたが、カムバックに成功しました。

有罪となって9年後でした。


1960年の『スパルタカス』では、ついにトランボの名前がクレジットに出てくるようになりました。

また、オードリー・ヘップバーンの主演で有名な『ローマの休日』は、実はトランボが1953年に執筆したものだったことが後に判明し、1993年に改めてトランボにアカデミー原案賞が贈られました。

彼の最後の作品は、1973年の『ダラスの熱い日』でした。


3.「栄光なき天才たち」で読んだドルトン・トランボ

前述の通り、私は「栄光なき天才たち」と言うコミックで、トランボのことを知りました。

オリジナルの第1巻に「ドルトン・トランボ」の名で描かれています。

あくまでも記憶の限りで描かせてもらいます。

ストーリーは、『黒い牡牛』と言う映画がアカデミー原案賞を受賞しそうだが、、実は原案者のロバート・リッチは偽名で、本当はダルトン・トランボじゃないか、と言うことをある新聞記者(おそらく架空の人物)がかぎつけるところから始まります。

そこから記者のトランボのへ貼りつきが始まります。

記者は、メキシコに移住したトランボが、工事現場の肉体労働者として生計をたてていることを知ります。

工事現場には、現場監督から屈辱的な扱いを受ける、無気力な50代のトランボの姿がありました。

肉体労働をするには老いていて使えないトランボを罵倒した現場監督は、続けて、

「おい、いつもの感謝の言葉を言え」

とトランボに迫ります。

「無能な私がここで働けているのは、あなたのおかげです。

 あなたに感謝して働かせてもらいます。」

典型的なパワハラです。

記者には、とてもカムバックの野心を持っているように思えませんでした。

それでも帰宅するとタイプライターを打っているトランボを、近くの建物から望遠レンズを見て、貼りつきを続けます。


そしてアカデミー賞の発表日、トランボは妻と共にラジオでその模様を聴きます。

そして『黒い牡牛』が受賞との発表。

それを聴いて、トランボ夫妻はとても喜びます。

その模様を記者は望遠カメラで写し続けます。

「ロバート・リッチは、本当にドルトン・トランボだったんだ。

 これはスクープだ」

と。

しかし一方で、記者は罪悪感も感じ始めます。

ここまでコツコツと努力を続けていたトランボと奥さんの成果が、自分がこのことを発表することで、受賞取り消しとなってぶちこわしにならないか、と。

悩みながら会社に帰ってきた記者は、

「僕の間違いでした。

 ロバート・リッチは、ドルトン・トランボではありませんでした。」

と言って、破いて使い物にならなくなったフィルムを差し出しました。


今度公開される映画が、こんな形のものではないとは思いますが、私が25年も前に読んだものをここまで覚えているのは、これだけ劇的な人生を、うまく架空の人物をたてて、より印象的に仕立て上げられているからです。



ダルトン・トランボの人生を知ることは、決して時間の無駄だとは思えません。

そして「宇宙戦艦ヤマト」の沖田艦長の言葉

「明日の栄光のために、今日の屈辱に耐える」

と言う言葉を思い出させてくれた、この映画のニュースでした。


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「8月15日」が終戦の日であることは、月日がたっても変わってはいけないと思う

今日「8月15日」は終戦記念日です。


最近、「広島に原爆が落とされた年月日は?」とか、「8月9日は何があった日?」と言う問いに答えられない日本人が増え、こんなことでいいんんだろうか、と言う懸念の声が広がっているようです。

かう言う私自身も、昔は脊髄反射で即答できたのですが、今はちょっと考えないとこたえられなくなってきており、ヤバいな、と思い始めています。


ところで昨今、日本の歴史の研究が進み、昔学校で習ったことが、今では「誤り」とか「そう言う説もある」と言われるようになりました。

例えば「いい国つくろう」で1192年と覚えた鎌倉幕府の成立年は、もはや他の年とされているようです。


前段の話しはここまでで、「8月15日」のことに戻ります。


太平洋戦争が終わった日は、正確に言えば、1945年9月2日で、戦艦ミズーリ号の上で、日本が降伏文書に署名した日です。

しかし、私ももちろんそうなのですが、多くの日本人にとっては、「1945年(昭和20年)8月15日」こそが「終戦の日」です。

手続きから言えば、9月2日でまちがいないのです。

ですが…

やっぱり「8月15日」だなぁ…


「日本のいちばん長い日」

と言う映画が上映されています。

この題名のように言われるように、国家レベルではなく、人々のレベルでは、「8月15日」は9月2日よりはるかに重要な日です。

この日を境に、日本人の価値観と言いますが、心の中で多くのものが大きく変わったように想像されます。


将来文明が崩壊し、人類が多くの遺産をのこして絶えたとしましょう。

新しく発生した知的生命体が、あるいは宇宙を含めた異空間から来た知的生命体が、太平洋戦争のことを研究した時、残された公的な資料を見て、

「この戦争が終わったのは1945年9月2日ということになるな」

と結論付けることは、仕方がないことだと思います。


しかし、我々日本人にとっては、大事なのは「8月15日」であり、それは将来我々の子孫によって、鎌倉幕府の成立年のように書きかえられるべきものではない、そう強く思います。



(映画「日本のいちばん長い日」 予告篇)

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ためになる、【リリック・ビデオ(Lyric Video)】



(Perfumeの「Hold Your Hand」のリリックビデオ)


「リリック・ビデオ(Lyric Video)」とは、

詞を軸に構成されたミュージックビデオ。

 詞表示のないものもある従来のミュージックビデオとは異なり、全編にわたり、曲に連動して詞が表示される。」

もので

「もともとは正式なミュージックビデオが完成するまでの仮作品や、ファンの二次創作的な作品として作成されていたようだが、動画サイトやソーシャルメディアの普及に伴い、プロモーションの一環として作成されるようになった。
 
 洋楽業界で取り入れられ、日本の音楽業界にも広がったとされる。

 近年は凝った作りの見応えのある作品も多く、注目が高まっている。 」

のだそうです。

「リリック・ムービー」や「リリック動画」とも呼ばれるようです。


先週、こんなニュースをテレビで見ました。


音楽ナタリー「Perfume、ファンの手を集めたビデオ完成」へのリンク

こう言う「リリック・ビデオ(Lyric Video)」と言う分野のものがあるとは知りませんでした。

と言うか、たぶん見てはいたと思うんですが、そういう分野でカテゴライズされているんだ、とは知りませんでした。


気になって他におもしろいリリック・ビデオがないか探してみました。

GReeeeN がけっこう作っているようです。



PerfumeとGReeeeNとのを比べてみると、リリック(Lyric:文字)の使われ方が少し違うな、と感じました。

Perfumeのは、文字と言うか、絵みたいな使われ方で風景の一部。

しかし表意文字なだけに、メッセージ性は風景より強いものとなっている気がします。


GReeeeNのは、音楽をのぞけば、言葉がメインで、風景はそのバックグラウンドに飾ってその言葉とのメッセージ性を強くするもの、として使われているような気がします。


どっちがいいと言う話しではないです。


ところで、こんな動画も見つけました。



Youtubeのこのサイトの説明には

「1978年のディスコ・ミュージック「怪僧lラスプーチン(Rasputin)」のに、1996年のTVドラマ「Rasputin: Dark Servant of Destiny.」のシーンをつけたもの」

と言うことが英語で書いてありました。

何回かこのブログで書きましたは、「怪僧lラスプーチン」と言うは私が大好きな歌で、帝政ロシア末期に実在した、グレゴリー・ラスプーチンと言う人物のことを歌った歌です。

彼は皇太子の病気を癒すことで皇室に出入りするようになるまで信用を得、やがて政治に口を出すようになります。

ラスプーチンは貴族から「君側の奸(くんそくのかん)」と見なされ、最後にはこのリリック・ビデオのように、暗殺されます。

私がいくつか読んだ本では、ワインを飲んだ後には「喉が焼けそうだ」といったそうで、またピストルで撃たれた後、縄で縛られて河に放り込まれ、溺死した、とあります。

動画と表現が違いますが、どちらが本当かはしりません。

その真偽はさておき、このグレゴリー・ラスプーチンと言う人物に興味を持てば、帝政末期のロシアのことが自然に覚えられますし、また、なぜ日露戦争で日本が勝ったかもわかるかもしれません。

実は私もこの動画を見て、ああ、あそこは「Czar(ツァー)」(ロシアの皇帝の呼称で、「カエサル」に由来)と言ってるのか、と気がつきました。

けっこうためになるリリック・ビデオだと思います。


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【FIFAワールドカップ2014】特に受験生にとっては、サッカーに熱狂するだけではもったいない



(竹内まりや「象牙海岸」)


FIFAワールドカップ2014は予選リーグが終わり、決勝トーナメントが始まります。

もっと早く書けばよかったんでしょうが、こう言ういろんな国の名前が連日報道されるイベントがあるのは、大学や高校の受験を控えた人には大変なチャンスだと思うのです。

いろんな国の地理歴史を、いつもよりは知ることができますから。

テレビなどのメディアでもいろんな国について報道されますし、ちょっと気になったらネットで調べることも可能です。

何よりも、いつもよりは外国について、普段よりは調べてみよう、と言う気持ちが出てくるんじゃないかな、と考えます。

地理歴史は暗記しなければいけないからつらい、と思う人も多いと思います。

ですが、自分が興味を持って調べたことと言うのは、自然と覚えることができて、なかなか忘れることはないものです。

もう一度書きますが、チャンスです。


コートジボワールはなぜ昔「象牙海岸」と呼ばれたのか?

「コートジボワール」は、どこで区切って呼ぶべきなのか?

コロンビアという国名はだれの名前をとってつけられたものか?

(それがわかれば、コロンビアはアメリカのどこかの国、と言うのは覚えられます)

ギリシャ…私にもよくわからんのですが、なんであんな経済状況でワールドカップに出られるのか?


他にも今ぱっと思いつくのは、なぜ地理的にアジアにあるイスラエルは、ヨーロッパの協会に属しているのか?

先日書きましたが、一部のスイスファンは、なぜチーズのかぶり物(「チーズヘッド」と呼ばれています)をかぶって応援したのか?

前回大会はアパルトヘイト政策が残っていたら、南アフリカでは開かれていなかっただろう、と言うことも。


ただちょっと不満を感じるのは、スペインのことを「無敵艦隊」と呼ぶことです。

これは歴史を覚える上ではものすごいチャンスなのですが、日本以外ではほとんど呼ばれていないと言う話しも聞きますし、私の感覚では、蔑称に近いと思えるからです。


受験生に限らず、われわれ大人も、外国の人と仲良くするには、その国のことを知ることは大事だと思いますから、いいチャンスだと思います。


なお、恥ずかしい話しですが、私は大学では「地理歴史」を専攻する学科にいました。

今でも地理や世界史のことを知るのは大好きです。

でも、コートジボワールが「象牙海岸」であることをすっかり忘れていました。

こんな大人にはならないでくださいね。


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「歴史上最も正確だった予想って何だと思う…?」 と言うまとめで思い出した予言

そと速「外国人「歴史上最も正確だった予想って何だと思う…?」 (海外の雑談)」へのリンク

と言うまとめサイトを見ました。

個人的に一番印象深かったのは、フェルディナン・フォッシュ元帥がベルサイユ条約について

「これは平和などではない。たかだか20年の停戦だ」

と言う言葉でした。

このサイトで初めて見たわけではないですが、1919年に締結された20年後の1939年に第二次世界大戦が勃発したことを考えますと、すごい先見力だと思います。


タイタン号のことを書いた小説については、著者の頭脳と言うより、なにか特別な感覚をもとに書かれた気がして、すごい、と言うより、怖いという感覚があります。


後世になって歴史を振り返ると、オットー・フォン・ビスマルク(本当はもっと長い名前です)の

「ヨーロッパでまた戦争が起きるとしたらバルカン半島だろう」

はそんなに驚くべきことではないように感じます。

でもあの当時としたら、きっとすごいことなんでしょう。

そして、ドイツ統一戦争後、自国ドイツの近辺で戦火を上げさせないよう、外交を展開した手腕…

こう言う手腕を持つリーダーが日本にいたらなぁ、と思います。

ただし「アメとムチ」の内政を置いといて、手放しで歓迎するのは考えものですが。


ところで、昔読んだ「第三次世界大戦」(ジョン・ハケット著 1978年)という本の最後に、こう言う記述があります。


「政治的予言と言えば、おもしろい小話がある。1928年のミュンヘンで、ある政治予言者が、5年後、 15年後、 20年後、 40年後のミュンヘン市民に、何が起こるか、救援して欲しいと頼まれて、こう答えた。

「5年後の1933年には、ミュンヘンを含むドイツには500万人の失業者があふれ、はっきりした精神異常の独裁者がドイツを支配しており、この独裁者は600万人のユダヤ人を殺そうとしています」

聴衆は言った。「なんてことだ。それでは、15年後には、私たちはもっと哀れな状態になっているとお考えでしょうね」

「いいえ」と予言者は答えた。 「1943年には、ミュンヘンは大ドイツの一部です。大ドイツの旗がヴォルガからボルドーまで、ノルウェー北部からサハラまで、ひるがえっています」

「それはそれは。では20年後には、私たちはもっと大変強大になっているとお考えでしょうね」

「いいいえ。私の予想では、 1948年には、ミュンヘンを含むドイツは、領土がエルベ川からライン川までの間しかなく、都市はいずれも破壊され、生産も1928年の水準のわずか10%にまで落ち込んでいるでしょう」

「すると、 40年後には、私たちは暗黒の廃墟にいるとお考えですか」

「いいえ、 1968年には、ミュンヘンの一人当たり実質所得は、今の四倍になっており、さらにその翌年には、ドイツの大人の90%が自宅の居間にくつろぎ、居間の片隅においた箱をながめているでしょう。その箱は、月の表面を歩く男の、動く写真を映し出しているのです」

もちろん、この予言者は狂人扱いされて、監禁されてしまった。」


これも興味深い予想だと思います。

後世に歴史を振り返って作られたものでしょうが。

Wikipediaの「ドイツの歴史というサイトを見れば、意味がわかると思います。


1928年と言えば世界恐慌の前年にあたりますが、ドイツはベルサイユ条約の賠償で疲弊していたところから、ようやく回復のきざしが見えていた頃だそうです。

そこから5年後の1933年は、アドルフ・ヒトラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)が政権を握った年です。

そして1943年は第二次世界大戦の真っ最中で、ドイツの旗色が悪くなっていますが、それでもヨーロッパの大部分を支配していました。

1945年に第二次世界大戦が終了。

ドイツは東西に分かれて占領され、1948年にはベルリン封鎖が起き、翌年には西ドイツと東ドイツとに分裂して発足します。

その後西ドイツは回復を始め、1968年の繁栄というオチで終わります。


この本が書かれたのが1978年ごろ。

まだドイツは分裂していました。

これにベルリンの壁崩壊によるドイツ統一などをつけ加えると、より興味深く、教訓も見いだせる逸話になりそうです。



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