2017年03月18日の記事 (1/1)

「教育勅語」の思い出


最近よくニュースで見聞きすることになった

「教育勅語」

についての思い出を書いておきます。


私が初めて「教育勅語」のことを知ったのは、中学生の時に社会の宿題で出されたからだと記憶します。

「家に帰ったら、お父さんやお母さん、それにおじいちゃんやおばあちゃんに、教育勅語のことを尋ねてみなさい」

と言うものだったと思います。


帰宅して尋ねてみました。

「昔は学校で大事な全校集会とかがあると、壇上で先生が教育勅語を取り出して、読み上げたものだ」

と答えてくれました。


これを聞いて、小学校の頃からの疑問が晴れました。

それは、小学校の講堂の壇上の後ろにあった、観音開きの扉のことです。

私はこの扉が開いているのを見たことがありませんでした。

「あの中はどうなっているんだろう。

何がしまわれているんだろう。」

とずっと疑問に思っていました。

あの中には教育勅語が入っていて、時々取り出されて読み上げられていたのか、と言うことがわかりました。

今あらためてウィキペディアの「教育勅語」のサイトを見ますと

「さらに、紀元節(2月11日)、天長節(天皇誕生日)、明治節(11月3日)および1月1日(元日、四方節)の四大節と呼ばれた祝祭日には、学校で儀式が行われ、全校生徒に向けて校長が教育勅語を厳粛に読み上げ、その写しは御真影(天皇・皇后の写真)とともに奉安殿に納められて、丁重に扱われた。」

とあります。

私の解釈は間違ってなかったようです。


そして、戦後教育の内容が大きく変わり、教育勅語を読みこともなくなりました。

ですから私は、あの扉が開いているのを見たことがなかったのでしょう。


その、福岡県神宮町立立花小学校の講堂は、私が小学校四年生の時に、小学校全体を建替えるときに壊されました。

今はその講堂よりもはるかに大きい体育館が建ちました。

全校生徒が150人ぐらいしかいない小学校にとっては、不釣り合いなほどの大きさです。

ですが、地域のスポーツのために利用されたり、災害の時の避難所として想定されたりしているんでしょう。

決して不必要に大きな体育館ではないと思います。


ここまで読んでいただき、どうもありがとうございます。

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