【大河ドラマ】「軍師官兵衛」に立花宗茂と高橋紹運は出ないのか…

NHKの大河ドラマ

「軍師官兵衛」(ぐんしかんべえ)

が始まりました。

これは、、戦国時代には豊臣秀吉の側近として仕え、江戸時代には大名となった黒田孝高(くろだ よしたか)の物語のようです。

黒田孝高は黒田官兵衛(くろだかんべえ)の通称や、出家後の号である黒田如水(くろだ じょすい)としての名前で知られているようで、あまり日本の歴史を知らない私も、黒田如水で記憶していました。

おそらく、福岡藩黒田五十二万石の祖にあたるのでしょう。

NHK「軍師官兵衛」
http://www1.nhk.or.jp/kanbe/index.html

福岡にも縁のある人物なのですが、私はあまりよく知りません。

で、ちょっと調べてみたのですが、豊臣秀吉の九州征伐に参加し、活躍しているそうです。


そこで気になるのは、私が大好きな立花宗茂(たちばなむねしげ)や、その実父高橋紹運(たかはしじょううん)が登場するかどうかということ。

この二人の親子は、豊後の大友宗麟の家臣として、薩摩の島津藩が九州を統一することを防ぎ、豊臣秀吉の天下統一に貢献したことで知られます。

「知られます」

と書きましたが、多分高校の日本史程度では、習わないと思います。

ですが、戦国時代を語るとき、この立花宗茂と高橋紹運親子の奮迅ぶりは、欠かせないものだと考えます。


豊臣秀吉の九州征伐のころ、九州は薩摩の島津家によって統一されようとしていました。

そのことを懸念した、九州のもうひとつの勢力である大友宗麟は、豊臣秀吉に救援を要請します。

大友宗麟の家臣、立花宗茂と高橋紹運は、黒田官兵衛が軍監として参加した豊臣勢が到着するまで、島津家の九州統一を阻止しました。

高橋紹運は、岩屋城に籠城して、5万と言われる島津勢を、わずか700名の兵で食い止め、徹底抗戦の末に玉砕しました(岩屋城の戦い)

立花宗茂は、立花山城にて籠城し、島津勢を苦しめ、豊臣勢到着の報に接して島津勢が退却するまで、徹底抗戦しました。

さらに豊臣勢の到着を待たず、退却する島津勢を攻撃するほどの猛将でした。

大友宗麟は豊臣秀吉に対し、立花宗茂のことを

「義を専ら一に、忠誠無二の者でありますれば、ご家人となしたまわりますよう」

と要請したそうです。

そして豊臣秀吉の信を得、小田原征伐のころには

「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」

と豊臣秀吉に言わしめたそうです。


このような武勲と、黒田官兵衛に縁のある親子なのですが、NHKのサイトや、Wikipediaの「軍師官兵衛」には、登場人物にその役名は出てきません。

少なくとも立花宗茂は、黒田官兵衛と九州にて交流はあったようです。

立花宗茂のご子孫のかたのホームページには、

「1586年 10月18日、宗茂、高橋元種の豊前田川郡香春岳城を囲む黒田孝高・吉川広家・小早川隆景を訪ね、立花城救援の礼を述べる。」

とあります。

また、関ヶ原の合戦で西軍についた立花宗茂は、大坂から柳川まで撤退し、そこで籠城して東軍に抗戦しようとするのですが

「1600年 黒田如水・加藤清正との間に和睦成立、柳川城開城」

したそうです。

(「立花家十七代が語る立花宗茂と柳川」より
 http://www.muneshige.com/index.html



他にも、朝鮮出兵の際、黒田長政とともに明軍と戦ったようです。

このように少なからぬ縁があるのですから、今回の大河ドラマ「軍師官兵衛」では、立花宗茂、高橋紹運親子を扱ってほしかったです。


でも、本当に扱わないかどうかはわかりませんから、九州征伐辺りは見てみようかと思っています。

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