【NFL】ブレット・ファーブの背番号が「グリーンベイ・パッカーズ」の永久欠番になって嬉しい件

20140821ファーブとロジャース

(ブレット・ファーブ(左)とアーロン・ロジャース

 2012年シーズンのカムバック賞のプレゼンテーターとして登場

 「偉大な選手がカムバックすると言うのは嬉しいものだね」(ファーブ)

 「いつもそうとは限らないけどね」(ロジャース)

 とのシュールすぎるスピーチが交わされたそうです)


日本時間の8月4日、NFLでほとんどの歴代パス記録を保有するブレット・ファーブについて、グリーンベイ・パッカーズとグリーンベイ・パッカーズの殿堂(球団とは別団体)は

「2015年夏にQBブレット・ファーブがグリーンベイ・パッカーズの殿堂に入り、彼の背番号4番はグリーンベイ・パッカーズで永久欠番化される」


と発表しました。

この記者会見には、電話でファーブも参加したそうで、

「言葉も出ない。夢のようだ。(グリーンベイに)戻る時がやって来た」

「光栄だ。心底からそう思っている」

と語っているそうです。

ファーブは自分の公式サイトにも

「自分がグリーンベイに戻ってパッカーズの殿堂に入ること、私の背番号が永久欠番になるとの発表はとてもうれしい。その特別な瞬間をパッカーズの素晴らしいファンたちと分かち合えることを楽しみにしている」

と書きこんでいるそうです。

「Official Website of Brett Favre 」へのリンク

このニュースに関連するサイトはこちらです。

NFL JAPAN「パッカーズ、名QBファーブのチーム殿堂入りと永久欠番化を発表」へのリンク

(以下の「アメフトNewsJapan」のニュースは、2つで1つと考えて読むと、深い記事になるように考えます)

アメフトNewsJapan「ブレット・ファーブ、遂にパッカーズ殿堂入り?」へのリンク

アメフトNewsJapan「ブレット・ファーブ、2015年夏にパッカーズの殿堂入り」へのリンク

Packer Zone「ファーヴが来年パッカーズHOF入り」へのリンク


ファーブと球団、そしてパッカーズのファンとの確執も薄れ、今回の栄誉となったようです。


ファーブの経歴は以下のようなものです。

ファーブはアトランタ・ファルコンズにドラフトされて入団。

ほぼプレイすることなく、2年目のシーズンを前にグリーンベイ・パッカーズトレード。

当時の先発QBが負傷したことでチャンスをつかみ、それから16年間、パッカーズの不動の先発QBとなりました。

スーパーボウルに2度出場し、1度優勝。

3年連続してリーグMVPを獲得。

数々の歴代パス記録をも更新しました。

しかし2008年シーズンを前にいったん引退。

2007年はチームをカンファレンスチャンピオンシップにまで導く大活躍でしたので、大いに驚きました。

そして数ヵ月後に引退撤回を表明してパッカーズに合流。

しかしチームは先発QBをアーロン・ロジャースと決めて、戦術もそのようにかえていたため、ファーブの復帰に難色。

(たしか)先発争いのチャンスも与えられず、控えでの復帰のみ許しました。

ここで球団とファーブの間に確執が生まれたようです。

ファーブはトレードを希望。

トレード先としてニューヨーク・ジェッツとタンパベイ・バッカニアーズが浮上しました。

引退したとはいえ、まだファーブに力があると考えた球団は、2008年に対戦があるバッカニアーズを避け、ジェッツにファーブをトレードしました。

このとき、パッカーズと同地区にあるミネソタ・バイキングスもファーブ獲得を考えていたと言う話しがあったので、ジェッツにトレードするときは、他球団にトレードしない、という条件付きのものだったそうです。

バイキングスに行けば、シーズンに2回あたることになりますから、球団はそのような条件となりました。

ファーブはジェッツで1年プレーして引退。

しかししばらくして、バイキングスで現役を続けることになりました。

このような「謀略」ともとられるファーブの行為に、ここら辺から、本格的にファーブを嫌うパッカーズファンが増えたように感じられます。

2009年シーズン、ファーブはパッカーズに連勝し、バイキングスをカンファレンス・チャンピオンシップに導きますが、2年目には急速に力を落としました。

パッカーズ初年度から続けていた連続先発出場記録も負傷で途切れ、オフに引退しました。


このようにファーブの20年間の経歴のうち、最初の1年と、最後の3年を他球団でプレイした以外は、16年間パッカーズでプレイした経歴を考えると、ファーブがパッカーズで永久欠番になることは自然の流れのように思えるでしょう。

しかし、球団やファンとの確執ともうひとつ、往年の大選手で1960年代のパッカーズの黄金時代を支えた一人、RBジム・テイラーがニューオリンズ・セインツで永久欠番になっていることを考えると、他球団、特にバイキングスで永久欠番になっていた可能性だってあったと考えます。


ジム・テイラーは1958年にドラフト2位でパッカーズに入団。

3年目の1960年、パッカーズの復興が本格化した時期に初めて1,000ヤードを走り、パッカーズでのラン記録を樹立しました。

この間のNFLは、クリーブランド・ブラウンズがリーディングラッシャーのタイトルを独占していたのですが、彼の9年間のキャリアで1度だけタイトルを明け渡したのは、テイラーでした。

テイラーの1,000ヤードラッシュは1964年まで続きましたが、その後のパッカーズでの2年間は700ヤード台にとどまりました。

どういう経緯でかはわかりませんが、1967年シーズン前、彼は新設チームのニューオリンズ・セインツと契約。

一年間だけプレイし、引退。

そして彼の背番号31は、セインツで永久欠番になりました。

1976年には、NFLの殿堂入りしました。


しかしテイラーはパッカーズの殿堂には入っています。

そしてパッカーズが永久欠番にする基準はとても難しいようです。

ですから、特にテイラーとパッカーズの間に何かの確執があるのではないのでしょう。


なにはともあれ、ファーブはグリーンベイ・パッカーズの選手として、歴史に残るようになったと思います。

ところで、ファーブがスーパーボウルに勝った時、HCのマイク・ホルムグレンは、選手や関係者を前にトロフィーをかかえて

「諸君、これが『ビンス・ロンバルディ・トロフィー』と呼ばれるものだ。

 帰るべきところに帰ってきた。」

と言ったそうですが、ファーブも、帰るべきところに帰って来ることになったと言えるでしょう。


ファーブがパッカーズを出て、どこでプレイしても嬉しかったのですが、最後にはパッカーズに戻ることになって嬉しいです。

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