【ネタバレ】「極貧球団~波乱の福岡ライオンズ」の感想~太平洋クラブ、クラウンライターファンだったものとして

20150809「極貧球団」

(「極貧球団」の画像)


極貧球団は1973年から1978年に福岡にあったパリーグの球団、

太平洋クラブライオンズ

クラウンライターライオンズ


のことを書いた本です。


ここ2年間、まともに本を読んだことがない私が、一気に読んでしまったほどおもしろい本でした。


1.私の背景

感想を書かせてもらう前に、私の野球応援歴を書いておきます。

1975年から野球を見始めた小学五年生の私は、自然に地元福岡にあった、太平洋クラブライオンズを応援するようになりました。

それは、1978年に西武ライオンズとなり、本拠地が福岡から去ることになるまで続きました。

この間、何度もライオンズのファンをやめたくなりました。

この本にあるように、本当に弱いチームでしたから。

阪急ブレーブスが無敵を誇っていた頃で

「強すぎておもしろくない」

といわれていた頃です。

弱かったライオンズのファンとしては、強すぎてなんの不満があるんだ、ぜいたくな、と思っていました。

できることなら、ブレーブスのような強いチームのファンになりたい、そう思ったりもしました。

しかしそれはできませんでした。

地元福岡のチームですから。

いくら負けても、ライオンズを見捨てることはできませんでした。

今となっては正確なところは覚えていませんが、そんな気持ちもあって、弱かったライオンズが埼玉に去ったら、あっさりとライオンズファンをやめることができました。

西武ライオンズになってから、多くの馴染みの選手が放出されました。

そして開幕12連敗。

もうライオンズを応援する大義も気持ちも無くなったのは当然ですが、プロ野球を見るのすらやめてしまいました。


それから3年半がたった、1982年秋、めずらしく家で野球中継を見ました。

マウンドにいるのは西武ライオンズの東尾修投手。

数少ない、福岡のライオンズの生き残りです。

テレビを見ていたのは、私と家族だけではありませんでした。

当時私の家は改築中で、それに携わっていただいていた大工の方々も一緒でした。

東尾投手が最後の打者を打ち取り、西武ライオンズが初めて日本一になったのを見て、不思議な気持ちになりました。

弱かったライオンズが日本一になった。

そこにいた人達すべてが喜んでいたかどうかは覚えていません。

中には

俺たちがちゃんと応援しとったら、福岡のライオンズとして優勝させられたかもしれん

と思っていた人もいたかもしれません。

高校三年生になっていた私でしたが、まだその頃は、なんでライオンズが福岡を去らざるを得なかったのか、知りませんでした。


私が末期の福岡のライオンズの悲惨さを知ったのは、その翌々年、浪人生を経て大学生になって、野球に関する本を再び読み始めてからでした。

たしか

越智正典著の

「巨人を超えた男・広岡達朗」

クラウンライターライオンズの貧窮ぶりが書いてありました。

ボールを洗濯機で洗って、練習で何回も使ったこと。

その時、消しゴムを入れると、汚れがよく落ちたこと。

小倉球場でゲームをやった日は、駅のホームで各選手に電車代を直接配っていたこと。

そんな状態の球団を応援していたのか…

そりゃあ勝てないわけだ。

もっともっと当時のことを知りたくなりましたが、なかなかそう言うことを書いた本は見つかりませんでした。


2.感想

この本を手にとったとき、さて、どれだけ詳しく当時のことが書いてあるだろう、と期待に胸をふくらませました。

本になるくらいですから、ある程度の深さはあるだろう、少なくとも出来事と出来事の連続性を失わない程度には。

期待したのは、あの当時福岡でライオンズを応援していた私に、ああ、あのことはそう言う裏事情のあらわれだったのか、と言うことが書かれていればいいな、と言うことでした。

結果は、期待のはるか上を行っていました。

こんなことまで調べて書かれたのか、と驚きの連続でした。

当時の新聞や記録、それらと、当時を知る人々の、正確さが怪しくなってきた記憶からくるエピソードを、不自然になることなく見事にまとめあげてあるな、と言う事が何よりも驚きでした。

特に1978年の福岡大渇水。

前年のドラフトで1位指名したものの、入団を拒否していた江川卓投手と、枯渇した江川ダムとをならべて

「『江川』と名がつくものはなんでもダメ」

と福岡で言われていましたが、これに近いことまで書いてあるのには驚きました。

よくまあこんなエピソードまで、無理なく埋めこんでくれたものだと驚きました。


この本には、こう言うエピソードがいくつか載っています。

球団の表の歴史と、裏のエピソードが無理なく織り込まれていました。


3.書かれなかった球団歌

この本には、私の知らないことがたくさん書いてありました。

特に中卒の選手がいたことはまったく知らなかったので驚きました。


一方で、たしか触れられてなかったのが球団歌でした。

あらためてウィキペディアで調べてみますと、太平洋クラブと、クラウンライターの時代には、3つの球団歌があったことになってます。

「君こそライオンズ」

「惚れたぜライオンズ」

「ぼくらの憧れライオンズ」

全曲、サビぐらいは知っていますが、この中でも「君こそライオンズ」については書いてほしかったな、と思います。


ただ、知っていることはすべて書けばいい、と言うものではないとも思います。

この点に関しては、調べはされたものの、それほど重要ではない、と判断され、書かれなかったのかもしれません。

ですが、あの頃の少年にとっては、とても感情が高ぶるもののように思えるのですが。

実際、東京で出会った同じ世代の福岡出身の方とは、この歌で盛り上がったりしましたし。


4.この本で泣けるか

この本を読んで、2カ所で号泣しました。

しかしそれは、私がこのころのライオンズを応援していたからだと思います。

そうではない大多数の人が読んで、泣けるかな?

その疑問は著者が書いた他の本の一つで、高橋ユニオンズのことを書いた

「最弱球団」

を読んでわかりました。

私は高橋ユニオンズに興味こそありましたが、思い入れはありませんでした。

それでも泣けました。

だから、普通の人が「極貧球団」を読んでも、十分に泣けると思います。


5.もっとも大事なこと

会社に行く途中、たまたま入った駅のトイレで、捨ててある新聞の広告欄に、この本のことを見つけました。

さすがにトイレに捨ててある新聞には手が出せませんでしたが、本のタイトルを覚えて、出社の電車の中でスマホでこの本のことを調べました。


この本を読んでもっとも驚いたのは、太平洋クラブライオンズも、クラウンライターライオンズも、福岡の人間からよそ者あつかいされていた、と言うことでした。

もっと本腰を入れて、福岡の財界や政界が援助していれば、中くらいの強さだったかもしれませんが、まだライオンズは福岡にあったかもしれません。

でも、誰もライオンズが福岡を去るなんて考えもしなかったんでしょう。

そのことが決まってから、みんな、ことの重大さに気がついたようです。


いま、福岡に住むライオンズファンを続けている身内の一人は

「福岡市はホークスを甘やかし過ぎたい」

と言います。

私より年長の方ですから、知ってはいるんでしょうが、「甘やかし過ぎ」とまで思われるほどホークスを大事にしないといけない理由があるのです。

私は、25年ほど前にホークスが福岡に移転するのが決まった時、いずれまた福岡を去るんじゃないか、と言う懸念を持ちました。

いま、ホークスは福岡の球団として根を下ろし、多くの市民に愛されています。

太平洋クラブライオンズクラウンライターライオンズは、球界に多くの逸材を残しました。

フロント陣としての坂井保之氏、根本陸夫氏、選手は東尾修投手など多数。

そして福岡の野球ファンには、地元の球団を絶対に手放してはいけない、と言う意識を残してくれたと考えます。


本の情報

極貧球団

長谷川 晶一 著

日刊スポーツ出版社

2015年6月20日発売

ISBN-10: 4817203323

ISBN-13: 978-4817203328


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コメント

弱かったけど、必死に応援してました。でも、ライオンズ身売りと共に野球熱も冷めました。ホークスは幸せですね。でも、ファンの真価はチームが勝てない時にこそ発揮されるものだと思います。
No title
忘れかけておりますが、
小学校5年生くらいでしょうか、ライオンズの吉岡が首位打者とったのは。
クラウンになると当時のラジオ関東が毎試合放送し、東尾しか勝てず、たまに山下で勝ってました。外野手の長谷川がリリーフで登板、いきなり打たれて敗戦投手といったようなチームでした。
西武ライオンズになってからは、私は近鉄の応援してました。

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